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共育者に聴く

21世紀共育ラボでは、

共に育つということを実践されている方を「共育者」と呼び、

​その実践内容をインタビューさせていただくことにしています。

宮崎ますみさんインタビューvol.1

更新日:2019年12月21日


今回は、宮崎ますみさんにお願いいたします。

宮崎ますみさんは20代に芸能界でご活躍された後、結婚を機に1995年ロサンゼルスに転居、そこで出産も経験されました。次男の照土(あきと)さんには発達しょうがいがあります(自閉症、ADHD、LDと診断)。ますみさんは照土さんが小学2年生の時に帰国され、乳がん、離婚を経験。ヒプノセラピストとしてのお仕事のかたわら、2人の息子さんを育てて来られました。今回のインタビューでは宮崎さんが照土さんにお母さんとしてどのように寄り添って来られたかを語っていただきました。

インタビューはこれから隔週で3回に渡って連載されます。

​​

宮崎ますみ(みやざきますみ)

ヒプノセラピスト養成インストラクター。

日本ヒプノセラピーアカデミーイシス代表、

日本ヒプノ赤ちゃん協会代表。

ヒプノウーマンSalon『聖母の祈り』主宰。

http://salon.hypnowoman.jp/





18年間息子に育てられてきた私。やっと卒業できました。

—— 照土さんは現在、米国のコロンビアカレッジ・シカゴに在籍し、大好きな映像を学んでいらっしゃいますね。小学生の時に発達しょうがいと診断されましたが、高校生までそれを知らされずに育って来られたそうです。まず、照土さんがご自身のしょうがいのことを知った経緯をお聞かせください。

宮崎:「息子に発達しょうがいのことを言わないでいいんですか?」と照土がちっちゃい頃から通っていた発達支援センターの先生に何度か相談しました。でも、「大丈夫、言わなくていい」という回答だったんですよ。私は言った方がいいと思ったけど、結局言わずにずーっと来て、でも本人も高校に上がったあたりから、自分って普通じゃないのかなあとか、薄々わかっていて、ものすごく悶々としていたわけなんですね。高校卒業後、アートの大学に留学する準備のために外国語専門学校の芸術コースに入ったんです。私は照土が小中学校時代を過ごしたシュタイナー学校での8年間も、高校に入る時も、先生に「この子はこういうキャラクターで…」って資料も渡して伝えておいたんですね。で、専門学校でも、入学式の次の日に先生に手紙を書きました。照土のことで戸惑うといけないから。彼は幼少期に発達しょうがいと言われて、こんな風に育ってきましたと。今でもこういうところのコミュニケーションがちょっと難しいと思いますと、細かく書いた手紙を封筒に入れて、ちゃんと糊を付けずに、開いたまま「あーくん、これ明日担任の先生に渡しといて」って渡したんです。そしたら夜のうちに彼が読んじゃって、それで自分が『発達しょうがい』っていうことを知ったのです。

で翌日「僕あれ読んだよ。どうして今まで言ってくれなかったんだ」って言ったのです。

「なんで?」ってたずねたら、

「僕はね、今まで知らなかった。だから高校もそんなに努力してこなかった」と。

「それを知って今あなたどんな気持ちなの?」ほんとうは私、内心もうバクバクなんですけど、冷静を装ってね。そしたら、「最初は、まるでがん宣告を受けたみたいにショックで心臓発作で死にそうな気持ちになった」って。「でもね、僕はそれを聞いて良かった」って言うわけね。「それを聞いて、僕はもう頑張る。僕はずーっと照土のままなんだ。最後は笑って死にたいから、僕はこの僕を幸せにしたい。だからこれから僕は頑張る。努力する」って言ったの。そこから、つまり自分が発達しょうがいであることを受容した時から、彼の中でものすごいエネルギーが湧いて来たんです。ガガガガって脳が繋がったみたいに、彼は変わったの。英語力もそうでした。幼少期をアメリカで過ごし、高校3年間はインターナショナルスクールに行ってたけれど、英語はちびちびでした。でもしょうがいを受け入れたあとの1年たるやすごい!専門学校の先生方によると、学校に来なくなったり色々ある生徒の中でも一番模範的にトップを走って頑張ったのは照土だって。それで英語もグワンと伸びたし、ポートフォリオで作品作りをしたら凄いんです。結局その作品のおかげで今、奨学金で大学に行けてるんです。

—— さかのぼって照土さんがますみさんのお腹に宿るところからお話しいただけますか?

宮崎: 当時住んでいたロサンゼルスの自宅である朝、長男を寝かしつけていつものようにテラスで瞑想してましたら、白い光がポヨーンって遊びに来た感じがしたんです。え、なんだろうと思ってフォーカスしたら、次に生まれてくる子っていうのがわかったんですね。それがホヨホヨってしてて、「お母さんはいつでも準備できてますよ」とか言いながら(笑)どうぞお入りくださいってなんかこう子宮の扉を開けるイメージで誘ってみたんです。でもなかなかお腹の中に入らないんですね。で、あ、まだなのかなーと思っていたら、その白い光はヒュっと隠れるわけです。あれ?っと思って見るとまたヒュっと隠れるんです。遊んでるんですよ、キャッキャキャッキャしてるの。お兄ちゃんの時は鋭い電光石火の光が降りて来る感じだったんですけど、あー、次の子はこの地球をまるで遊びに来るような感覚で来る魂さんなんだ。非常に面白いキャラクターを持ってるんだなというのがもうわかったんですよ(笑)。あくまでもイメージの世界ですけれども(笑)。

—— ヒプノセラピストのますみさんらしいですね(笑)。

宮崎:はい。ほんとに祝福ですね。準備がいるっていうのがわかったんです。特に次の子を計画していたわけじゃないし、1人目で必死ですから。そこから半年以上が経って妊娠がわかって、照土が生まれました。

そういう経験をして、コミュニケーション、この顕在意識の言葉なんていうのは表層の上っ面であって、ほんとに子どもとの一番大事なコミュニケーションは魂と魂だと思うんですよ。その体験を最初からさせてもらいました。

—— ますみさんはお子さんにどういう風になってほしいという想いがあったのでしょうか?

宮崎:昔も今も変わらないのは、やっぱり魂に則って生きる人間に育ってほしいということですよね。

—— 魂に則るっていうのをもうちょっと具体的に教えていただいていいですか?

宮崎:私は、すべての子どもたちは Spirit 自体が種を持って生まれて来ていると思うんですね。誰かが植え付けるというよりも、その種を信頼する子育てかな。

—— 子どもの中にあるものを尊重するってことですね。

宮崎:そうですね。まだ種である時、どんな花を咲かせるかわからないですよね。いつ芽が出るのかもわからない。でもこのちいちゃなちいちゃな一粒の中に全部含まれている。どう育っていくかわかってますよね。植物が先生ですね。

—— だとしたらその種を信頼できるためにはお母さんの信じる力っていうものが大事になってきますよね。子どもにはこうなってほしいとか、親の想いが色々あったりしますでしょ?

宮崎:これね、やっぱり私がアメリカに移り住んでずっとインドヨガに傾倒してヨガ行者みたいな生活してて(笑)、その中で子育てしていたっていうのもあるんですね。やっぱりある種インド哲学みたいのががっつりあって、すべて自分がしていることなんて何一つないっていうのがあるわけですよ、風で木が揺れるのも、蝶々が目の前を飛ぶのも木の葉が舞うのも全部偶然ではない、全て御心が行っているっていうところがあるので、ましてや自分の子どもは自分の子どもではないっていうのがベースにありましたし…

—— それは天から授かった子どもということですか。

宮崎:そうですね。御心が行うことっていう意味ではそれを邪魔しないっていうか。その子の魂、その子の種がどう発芽していくかというその計画に則っていかにサポートできるか。だから私がこんな花を咲かせようって肥料あげてみたり遺伝子組み換えしてみたりとか(笑)しない。

—— 本来の方向に伸びられるよう陰からサポートすることが親の役目だということですね。

宮崎:そうです。だから読み取るだけですよ。

—— 読み取る?

宮崎:その子が何を持ってるか。だから星(読み)も時には必要なんだと思うんです。何を持って生まれて来たのか。カルマも含めてね。(注 インタビュー前の雑談時に、ますみさんはお子さんの特性を知るために占星術なども参考にされていると話されていた)。

子どもは日々サインを出すのだけど見逃しちゃうんですよね。それをいかにキャッチできるか。私はやっぱり人生っていうのはどれだけ御心に従って生きられるかだと思うんです。とらわれから解放されなければ見えてこない領域に本質が隠れていますからね。

—— 私も成人した子どもがいますけれども、キャッチするのってなかなか難しいと感じるのですけど、ますみさんはそこ徹底していらっしゃいますね。

宮崎:あとは、自分を癒し切る。私いろいろな場で「お母さんたちが自分を癒し切ることですよ」って言い続けているのはそこです。キャッチするには、ほんとに自分が空洞になるっていうか、いろんな汚れをほんとに解放していかないと、幼少期に寂しさだとか悲しみだとか本来の自分、無条件に愛された記憶、無条件に認めてもらった記憶が希薄だと、やっぱりぽっかり穴が開いちゃった状態で大人になっちゃうわけですね。大人になるとその満たされない自分を満たそう満たそうとするわけです。だから人に認めてもらいたい愛されたいという欲求が先に立ってしまい、本来の魂に則って生きられない。外からの期待に応えるという生き方、主観を相手に渡してしまうんです。だからそこを癒し続けるということなんです。

—— そうしないと子どもで自分を満たそうとする親になってしまうということですね。

宮崎:そうですよねー。自分が満たされなかったものを子どもに託してしまうっていうのはありますよね。

—— ますみさんの場合は、次男の照土さんが発達しょうがいを持っていらした。その照土さんの種を、どういう風に読み取り、見極めて来られたのでしょうか?

宮崎:次男は喋りが遅かったの。お兄ちゃんも言葉は遅かったのですが、心配なく喋れるようになったので、同じだろうと思っていました。で呑気に構えてたらほんとに喋らないんですね(笑)。単語を時々発するぐらいなんですよ。

—— 大体何歳くらいまでそんな感じだったんですか?

宮崎:7、8歳ですね。3歳のころある週末、ロサンゼルス郊外の自然公園に遊びに行ったんです。川で遊ばせてる時に、「あ!」って気付いた。私あまり子どもに積極的に喋りかけるとかやってないからかなって自分を責めてね。私結構家庭で無口なんですよ(笑)こういう時にこそもうちょっとコミュニケーション取らなきゃいけないな、と思って、言葉を覚えさせる目的で次男に、「ほら、見てごらん。これ、オタマジャクシと言うんだよ。これが大きくなるとね、手が出て足が出てカエルというものになるんだ」とか、とうとうと言い始めたわけですよ。そうしたらピチャピチャ水で遊んでいる次男が突然、ピッと私の方を見て私の口をパっと塞いだんですね。で、一言、「No!」て言ったんです。3歳ですよ、その目にすごい意志の力を感じたんです。もう子どもではない意志の力。その時雷に打たれたような感覚になって、あ、私はなんてことをしてしまったんだって。

—— そこに何を読み取られたのですか。

宮崎:マミーとも言ったことがないような人が「No!」って言うんですよ(笑)。人生で初めて覚えた言葉が「No!」。生き残っていくために一番必要な言葉が「No!」なんだなって(笑)。言葉とか知識とかじゃない。全身を使って今小川で遊んでる。それをこの子は今感じたいんだ、これ以上の何を私は考えてたんだろう、余計な心配をしてね。この瞬間を忘れまいと思ったわけ。この子は喋れないんじゃない、今喋ることを選んでいないんだってことを感じたわけです。それでそれを尊重しようと思った。魂のメッセージですよね。

このエピソードね、アメリカの大学に行く時に発達しょうがいの Learning Disability(LD)のサポートっていうものの申請のために、知り合いの精神科医のところで IQテストだとか色々受け直した時にドクターに言ったら、「あ、そこですね。二次しょうがいを食い止めたのはそこからなんですね」っておっしゃってくださった。

—— だとすると、場合によってはそこから二次しょうがいが始まる可能性もあったってことですよね。

宮崎:それだったら最初っからですよ。最初が大事。ある意味ね。要するに魂の意志とは違うところで、親の心配や期待や世間体で強制しよう強制しようとすればするほど魂から逸れるということですよね。そうすればするほど彼らは、発達しょうがいを持ってる人たちは特に、傷が深いんです。ここのひずみが。

—— なるほどー。

宮崎:普通の子も基本は同じですけど。この社会、本来の自分から逸れている感覚も麻痺して、自分じゃないものとして生き始めて、ある時大人になっていろんな問題が出て遠回りしますでしょ? 特に発達しょうがいの子たちはごまかしや嘘が効かないんで、わかりやすいです。だから尊重され否定されないということが大切なんです。

—— ますみさんの場合は、照土さんを授かったことで、人として何か深く気付く機会がおありになったのかなと想像するんですけれども。

宮崎:そうね。あの人がね私を育ててくれた。

—— それはどんな面ででしょうか?

宮崎:最終的に本当にそう自覚できたのは、奇跡的に大学が決まって、入学までの半年間日本でずっと彼は絵を描いていたんです、もう何時間もすごい集中力で。肩もガチガチでひどかったから、毎晩とは言わないけれどお風呂上がりにアロマでマッサージしてあげていたの。本人は「いててててそこそこそこ!」っと言っているのですけど、私はそのコリの中にイメージでヒューって入っていきました。そしたら彼の魂の声が聞こえたわけです。「マミー、卒業ですよ」って。「僕があなたに教えることは全部教え終わりました」と。「さあ、おやりなさい」て言われて。ええーー!?(大爆笑)―僕はもう自分の道行きます。アメリカに行って自分の道を進んでいきます。あなたに教えることはここまでですよ、もう卒業しましたよ、よくできましたね―みたいな(笑)。そのエネルギーは何かって思ったら、聖母マリアだったんですよ。男の子だけど。おお、聖母マリアだこの人!とか思って(笑)。

—— 彼の深い部分が、ますみさんの深い部分に語りかけてきた。

宮崎:ちっちゃい時は、ずれがないんですよ。だけど、大人になるとやっぱり、「いてててて」って表層は言ってますけど、魂では別の声がパッと聞こえちゃう。

卒業ですよと言われたんですよ。卒業ってことは彼にずっとわたしは学んで、勉強させてもらっていた。18年間育てられてきたんですね。やっと卒業できました(笑)

(インタビュアー・長岡 純)

#宮崎ますみ

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