第1回は、矢作直樹さんにお願いいたします。矢作さんへのインタビューはこれから隔週で3回に渡って掲載されます。

矢作 直樹(やはぎ なおき)
東京大学名誉教授・医学博士
プロフィール・活動:
『矢作直樹公式ウェブサイト』 http://yahaginaoki.jp
—— まず、矢作先生にとって「共育」とはどういうことでしょうか?
矢作:共育といった場合には事実を知ること、知識も基本になりますが、目的というか個々人にどういう志を持ってもらうかというところが一番重要なのだと思います。
—— では、その事実や目的を知ることが、まさに共育されているということなのでしょうか。
矢作:やはりみんなによりよい日本人、当然世界への影響も有形無形ででてくるわけでしょうけど、よい日本人として生きていくためにというのが目的ですね。そうすると当然いわゆる先祖や天への感謝、いわゆる敬神崇祖といったこと、そして感謝から今度は誇りというのがでてくるでしょうし、喜びとか安寧ですね、そういうのがみな伴ってくると思うのです。自分が何かということを知ることは基本でしょうね。
—— 自分が何かを知るということは非常に基本ではありますが、逆にものすごく難しいことと思うのですが。
矢作:あまり難しく考える必要はなくて、できることからやっていけばよいと思いますね。完成形を求める必要はないと思います。
—— 具体的に自分が何かを知るという方法の中で、先生がお勧めしてらっしゃることはありますか。
矢作:いろいろあると思います。神話を含めて過去のものであるとか、あるいは今に残る史跡、もちろん過去の人による伝承からでもよいでしょう。
—— そういう歴史背景の中から今もずっと続くものということですね。
矢作:そうですね。過去から今にいたるまでのことを知るにあたっての基本的なある程度の理屈付けとしての科学も役に立つでしょうね。
——「教え育てる」というある意味一方通行に見える環境から、21世紀は多様性や対話ということがキーワードになるという上では、本来の教える側も実は教え方を教わっていたり教えたりする中で気づきがあると思うのですが、21世紀共育ラボの「共に育つ」という観点について先生の中で何かイメージすることはありますか?
矢作:やはり相手というのは千差万別・多種多様なので、今言われたように伝え方の重要性というのは大きいと思います。あとはどういう風に一般的に理解されるか、思考の癖がありますので、逆にそれを知ることによって軌道修正していく、教えるというか伝えるのです。
—— 伝える立場で先生は、実際にそういう気づきをかなり得ていらっしゃるのでしょうか。
矢作:そうですね、人の意識の壁というのがどんなものであるかというのがよくわかりますね。人の思考の癖として、天動説というか自分を中心にものを考える癖があるということをよく教わります。
—— その天動説的な考え方を先生はどのように捉えてらっしゃいますか?
矢作:それは癖でしょうけど、世界とか実相はそうではない。それをわかってもらえることが理想であっても、わかってもらえるとは必ずしも期待しない。ただ、そういう癖に気づいてもらえれば、より真理に近づくのではないかと思います。
—— 思考の癖であったりそういったことが結構あるなと思われたきっかけはありますか?
矢作:それはいつということではなく、物心がついてから今にいたるまで、いろいろな形でそのあたりのことは経験しました。

—— 先生の中で、いわゆる一般的なお医者さんの職業というと・・・
矢作:あんまり医者のことは今はもう意識にないので、医療をちょっと外れて、社会一般としての視点で見ているのです。
—— 医師として活動してこられ、そこから脱しより広いところに先生の活動の場が移っていった経緯は?
矢作:医療というのはあくまでも生活あるいは社会の営みのごく一部ですよね。もちろんそういうところから人って見える部分もあるけれども、逆に言うと、そこだけでは目的からいくとごく一部でしかないので、別に医療にこだわっている必要はないですし、また逆にそういうところから抜けないと見えてこないものがいっぱいあります。例えば、医療では量子論なんて必要ないですしね。
—— 先生の先ほどの目的意識というところで、例えば「お医者さんになろう」と思った時に、すでにその先まで目的とされていたということですか?
矢作:やっぱり人って生きる理想というか志というか目的と、ちょっと言葉は悪いですけど、実際に生業を成り立たせる部分とは必ずしも一致しないので、一言で言えば、現実的に生きていくための方便としての医療というふうに考えました。
—— 医師になろう思われた時から方便としての医療という立場にあったということですね。
矢作:そうですね。というのは結局医療でもって本当には人が救われるわけじゃないですからね。
—— なるほど、面白いですね。結構多くの方がある職業であったりそれになることを目的とされている中で。
矢作:やっぱり職業というのは、目的の部分も否定はしませんけど、それを通じて世に貢献することが本来の目的ですよね。そういう意味では、第一次産業がもっとも直接的な社会貢献ですよね。第三次産業になると、たぶんに社会の流動的な要素の中で、ある時は役に立ってそうに見えたりある時は虚業であったりというふうに、評価の意味で変わりますよ。だからそこはあんまり問い詰めてもしょうがない部分で、例えば医療というと役に立つ部分もありますが、西洋医療に限ってしまうとやっぱり人間の社会の意識の具合との兼ね合いにはなりますけど、今のあり方というのはかなり不十分ですね。そういう意味では、ある程度客観的に見ていかないといけませんね。
—— 先生の場合はまさにその観点がかなり早い段階からあられたのかなとお話を聞いていて思います。
矢作:そういう意味では、もうちょっと能力があれば、本来の自分の目指す方向にたぶん行ったか、本当の意味で世に役立つことをできればよかったんですけど、残念ながらそういう方面での素養がなかったので、少し言葉が悪いんですけど、現実的に折り合いをつけたところがありますね。
—— ちなみにそのあたりのことはどんな?
矢作:たぶん数学とか物理が本当によくできれば社会貢献って大きかったと思うんですね。ただその能力はないとかなり早い時点でわかっちゃったんですよ。(笑)
—— なるほど、それは具体的にどういう体験の中でですか?
矢作:例えば過去の優れた数学者とか物理学者の生い立ちとか、本人の論文で考え方なんかも当然書いてあるわけです。到底自分は及ばないなというのはすぐわかります。たぶんそれは中学から高校にかけてのことです。
—— 今のお話は結構キーなのかとちょっと思いました。というのも「自分は何か」を知るという時、やりたいこととできることの違いというものを自分自身である意味苦しさの中で体験しないといけない時ってみなさんに絶対やってくると思うのですよね。
矢作:それはそうですね。やっぱり無知の知を知るというのは重要なことなのでね。
—— 簡単に気持ちとしては受け入れられない部分ってやっぱりあるのでしょうかね。
矢作:どうでしょうね。他の人のことは私にはよく分からないのだけど、自分にはなかったですね。「あーこんなもんか」と、客観的にわかります。そこにあまり感情というのは生じないですね。
—— そのあたりの感覚というのはいつ頃からでしょうか。中学高校の時に客観的にご自身を判断できるというのは。
矢作:人様が言う競争の感覚っていうのがよく理解できなかったんですね。人様のスタンダードに合わせないといけない部分と、心の中にはどうでもいいというか気にしないところってありますんでね。
—— それはご両親からの育てられ方や環境の中からでしょうか?
矢作:それもないことはないでしょうけど、やっぱり「魂の癖」でしょうね。
—— なるほど。先生が今「魂の癖」と言われたようなそういう言語化ができて、ご自身の中にそこが落ち着いてきたというのはいつ頃ですか?
矢作:学んでだんだん適応してきたのかというのが質問の趣旨だとすれば、そういう感覚もないんですよね。
—— 社会一般の感じからすると、相当これは特殊なパーソナリティ、かなりマイノリティのパーソナリティだったのではないかと思うのですが。
矢作:よくわかりませんね。他の人のことに関心がないのでね。
—— 何か組織とか集団の中にいて、違いみたいなものを客観的に認識されていたというのはありますか?
矢作:そうですね。違うんだというのはわかる。その違いは、何か折り合いがつくものかというと、折り合いがつかないものだと直感的にわかります。ですからそこはもう切り分けるわけです。「言っても通じない」という意味ですけどね。
—— それってそれこそ歴史の偉人であったりとかいろいろな結果を出されてきた方に結構共通するエピソードというか。
矢作:どうですかね。それはちょっと。そういうつもりで見てないので。
—— 先生の学び場に来られる方はそういったご自身の「魂の癖」であったり「自分を知る」学び中の方々が多いと思うのですけど、「共育の場」をどのように先生はデザインされているのでしょうか?
矢作:難しいですよね、ある程度それは手探りですよね。
—— 手探りをしてらっしゃる中で喜びであったりとか「あちゃー、やっちゃった!!」
みたいなことはありますか?
矢作:そうですね。喜怒哀楽というのがもうあんまりないので、単純にこうした方がよいのかな、また変えてみようというくらいでしょうかね。
—— 数学とか物理の学者ではないですけど、思考の観点としてはまさにそういうジャンルでしょうか?
矢作:数学とか物理の本当の天与の才能のある人というのは、見ているとやっぱり違うように見受けますね。まあ、めったにいませんけど。
—— そういった方とお会いになられた時、違いはどういった部分に感じますか?
矢作:やっぱり、いい意味での「ただ生きているだけ」という感じですよね。
—— そのままのご自身の素材で生きてらっしゃるだけという。
矢作:そうなんだと思いますけどね。
—— 何かになろうとかいうのは。
矢作:いやいやいや、ああいうレベルになると全く次元が違いますね。例えば、そこらあたりの何とかの勉強をするからああいうレベルになるかって言っても100%無理です。
—— 先生の中ではそういうふうに見て、結論が出てらっしゃって。
矢作:わかっちゃいますよ、そんなものね。
—— 寿命が100年の時代とはいえ、今世的な現実では違うと考えた方がよいというわけですね。
矢作:そうですね。例えば、我々に空を飛べと言っても無理というのは100%わかるじゃないですか、そんなような感じでしょうかね。
—— そのレベルでということですね。なるほど。面白いですね。
(インタビュアー・有本匡男)

H30年3月仙丈ケ岳(矢作直樹先生撮影)